台湾は台湾だから…李登輝著『台湾の主張』発刊への道程 李登輝に学ぶリーダーの神髄(1)『台湾の主張』の衝撃 追加日:2020/10/28 李登輝が1996年の国民投票で総統に選ばれ、中国統一派と台湾独立派の2派のなかで悩んでいた頃、江口は「台湾は台湾」と書いた提言書を持っていった。すると李登輝は、「自分と同じ考えだ」と大いに喜んだ。そこから2人のつきあいは深... 李登輝に影響を与えた「メメント・モリ」の意味 李登輝に学ぶリーダーの神髄(2)「自主自立」と「メメント・モリ」 追加日:2020/11/04 李登輝は13歳の時に「自主自立」に目覚め、家から離れた中学校に入り、自分を向上させようとした。学生時代は、カーライル、ニーチェ、西田幾多郎など西洋や日本の古典を読みあさった。「死を想え」という意味の「メメント・モリ」も... 「私は私でない私」李登輝は神の目で台湾統治を考えた 李登輝に学ぶリーダーの神髄(3)「我是不是我的我」 追加日:2020/11/11 妻の影響で敬虔なクリスチャンだった李登輝。台湾統治も「イエス・キリストならどう考えるか」と神の目線で考えた。そんな李登輝は日本に対しても、「アメリカに依存している」などと厳しい目で見ていた。そこには青春時代を日本人と... 「日本の武士道」で「アメリカ民主主義」の裏打ちをする 李登輝に学ぶリーダーの神髄(4)「脱古改新」という考え方 追加日:2020/11/18 2004年頃から李登輝は「脱古改新」という言葉を用いた。これは、「脱中国」「一国二制度の否定」をも意味する。彼の死後、遺族は総統府や蔡英文総統に「『脱古改新』を誠実に守ってくれ」と伝えた。李登輝がいなければ、台湾はあれほ... 中国の圧力をはねのけて実現した李登輝訪日の舞台裏 李登輝に学ぶリーダーの神髄(5)総統退任後の訪日実現 追加日:2020/11/25 李登輝は総統退任後、9回日本に来ているが、このうち7回は江口がアレンジしている。1回目は中華人民共和国に過度に配慮した日本が入国をなかなか認めなかった。当時から中国共産党は日本で力を持っており、李登輝の影響力を恐れ、訪日... 李登輝が司馬遼太郎の墓前で「静かなる革命」と報告した理由 李登輝に学ぶリーダーの神髄(6)2回目の訪日と「静かなる革命」 追加日:2020/12/02 1回目の訪日が大阪や岡山だったのに対し、2回目は名古屋、金沢、京都を回った。京都では母校の京都大学を訪ねるのを楽しみにしていたが、「警察が入ると自治が侵される」という理由で門を閉ざされてしまった。しかし、李登輝は決して... ついに議員会館で熱気あふれる満員の李登輝講演会が実現 李登輝に学ぶリーダーの神髄(7)国会議員会館での講演と日本精神 追加日:2020/12/09 参議院議員になったことで李登輝に国会議員会館で講演をしてもらいたいと考えた江口氏。その後、講演が実現。300席を用意したところ、議員と秘書合わせて420人が来るという大変な盛況ぶりだった。この訪日では福島や仙台も周り、東日... 極秘訪問の安倍総理に李登輝が託した思いとは 李登輝に学ぶリーダーの神髄(8)安倍総理との面談が実現 追加日:2020/12/16 「これで日本は日本らしくなる」と安倍政権の誕生を喜んでいた李登輝。江口氏に安倍総理への親書と色紙を託したことがある。安倍総理も敬意を抱いていたのだろう。国会議員会館での講演の翌日、李登輝のもとへの訪問が実現する。李登... 李登輝と松下幸之助に共通していた「自我を越えた目線」 李登輝に学ぶリーダーの神髄(9)自我からの脱却 追加日:2020/12/23 江口氏が李登輝に最後に会ったのは、李登輝が亡くなる7カ月前のことだった。その折、江口氏が「台湾という立派な国をつくられましたね」と言葉をかけると、李登輝は江口氏の顔をじっと見て、「まだまだだよ」と返答したという。そこに... 経営者と政治家は、どこが似ていて、どこが違うのか 李登輝に学ぶリーダーの神髄(10)国家国民のために 追加日:2020/12/30 指導者にとって大事なものを聞かれ、李登輝は一番に「信仰」と答えた。松下幸之助でいえば、それは「根源」ということになる。二人とも気が強く、またそれを裏付ける信仰、哲学を持っている点でよく似ている。では経営者と政治家の違...
松下幸之助と1対1で進めた『人間を考える』編集秘話 松下幸之助と人間大事の経営(1)『人間を考える』制作の舞台裏 追加日:2020/06/28 経営者として一時代を築いた松下幸之助の言葉は、現在もさまざまな場面で引用される。なかでも一番の集大成として彼自身自負したのが『人間を考える―新しい人間観の提唱―』という著書だ。側近としてその編集に携わった江口克彦氏の話... 「天下の松下幸之助」になっていた時代に施された教育とは 松下幸之助と人間大事の経営(2)気づかせる教育 追加日:2020/07/05 『人間を考える―新しい人間観の提唱―』という本の編集という大役の最中に、江口氏は別の任務を松下幸之助自身から仰せつかる。旧著の改訂版作りに取り組めというのである。1週間から10日ほど徹夜の作業が続く中、江口氏が手にしたもの... 「腹中有書」で気づいたことは生涯忘れない 松下幸之助と人間大事の経営(3)「腹中有書」で実践する 追加日:2020/07/12 「気づきの教育」を得意とした松下幸之助により、悩みながら成長していった江口氏。自分で気づいたことは忘れないという「腹中有書」を積み重ねる中、彼は30代半ばでPHPの経営当事者に抜擢される。できるのは「幸之助の真似」だけだっ... 松下幸之助から教わった「人間に照らして見る」ことの大事 松下幸之助と人間大事の経営(4)人を育てる 追加日:2020/07/19 自分が正しいと思えば、相手が社長だろうが誰だろうが、かまわず率直に意見する。そのような人を可愛がり、育てることも、名伯楽として「上に立つ者」の度量といえるのではないだろうか。松下幸之助は人材を見つけると、たとえやんち... 松下幸之助と船場商人はどこに違いがあるのか 松下幸之助と人間大事の経営(5)行即道場と日本流経営 追加日:2020/07/26 松下幸之助は少年時代に大阪の船場に丁稚奉公に出ているが、松下幸之助と船場商人はどこが違うのか。幸之助の面白いところは、「私」が基本的な考え方である船場で学びながら、「公」という考え方を自分の中に持ち込んだことだ。そう... 「鳴かぬなら それもまたよし ホトトギス」に込めた思いとは 松下幸之助と人間大事の経営(6)「それもまたよし」には続きがある 追加日:2020/08/02 松下幸之助の名言として、よく引用されるのが「鳴かぬなら それもまたよし ホトトギス」の句だ。戦国三英傑の違いを表した故事に、さらに別の可能性を開いた言葉として着目される。しかし、その真意は、一般に考えられるよりも奥深... 「人を選ぶも、人を捨てず」――日本の経営者が意識すべきこと 松下幸之助と人間大事の経営(7)「人間大事」と昭和の経営者 追加日:2020/08/09 平成不況や家電メーカーの不振を生んだのは、昭和まで続いた日本的経営の考えが軽視され、MBA流儀の成果主義に取って代わられたからだと江口氏は言う。令和の時代を迎えた今こそ、松下幸之助流の「人間大事」経営に、新たな注目が集ま...
松下幸之助の考え方には今と昔を貫くものがある 生き続ける松下幸之助の経営観(1)今も生きている幸之助 追加日:2018/10/13 「松下幸之助の考え方はまだ生きている」、株式会社江口オフィス代表取締役社長の江口克彦氏は、そう語る。松下幸之助が亡くなってから30年がたつが、松下幸之助の考え方はいまだに語り継がれている。それは、幸之助の考え方には昔と... 松下幸之助の経営の土台にあるのは人生観や人間観 生き続ける松下幸之助の経営観(2)人生観と人間観 追加日:2018/10/14 松下幸之助は、経営者であるとともに思想家であり、人間観や人生観に裏打ちされた経営観を持つと、株式会社江口オフィス代表取締役社長の江口克彦氏は語る。彼が亡くなって30年たった今でも語られ続けているのは、それが土台となって... 松下幸之助の経営者としての「喜び」とは何か? 生き続ける松下幸之助の経営観(3)経営者の喜び 追加日:2018/10/15 自分を喜ばせることよりも他人を喜ばせることが、松下幸之助の考える経営者の喜びであった―株式会社江口オフィス代表取締役社長の江口克彦氏はそのように語る。昭和の時代には優れたリーダーが多かったが、松下幸之助はそう考えて経営... 従業員を喜ばせるためには何をすべきかを考える 生き続ける松下幸之助の経営観(4)従業員を喜ばせるため 追加日:2018/10/16 松下幸之助は従業員を喜ばせることを考えて経営を行っていた―株式会社江口オフィス代表取締役社長の江口克彦氏はそう語る。世界大恐慌の際には、松下電気器具製作所も倒産寸前になったが、松下幸之助は従業員を喜ばせることを考えて、... 松下幸之助は、お客様の側に立って考えた 生き続ける松下幸之助の経営観(5)常にお客様の側に立つ 追加日:2018/10/17 松下幸之助は常にお客様の側に立つ経営者であった―株式会社江口オフィス代表取締役社長の江口克彦氏はそう語る。松下幸之助は、社員が持ってきた試作品の価格を設定する際に考えるのは、お客様ならいくらで買ってくれるかということだ... 経営者は経営に命を懸ける覚悟を持つべき 生き続ける松下幸之助の経営観(6)命を懸けて経営する 追加日:2018/11/14 松下幸之助の考えは、どんなときも経営のことを頭から離してはならず、また、勝てば官軍という考えを経営に持ち込んではならない、というものだった。その考えを受け継いだ株式会社江口オフィス代表取締役社長の江口克彦氏が、命を懸... 松下幸之助は、禅問答を通じて経営を考えさせた 生き続ける松下幸之助の経営観(7)禅問答で考えさせる 追加日:2018/11/14 松下幸之助は、禅問答を通じて部下に経営を考えさせていた。株式会社江口オフィス代表取締役社長の江口克彦氏はそう語る。松下幸之助はPHP研究所の経営を担当し始めた江口氏に、「わしの言う通りにやるんやったら、君は要らんで」と言... 商売というものは「正売」であり「正買」である 生き続ける松下幸之助の経営観(8)正しい商売をする 追加日:2018/11/14 松下幸之助は、人々を救う正しい商売をしていたと、株式会社江口オフィス代表取締役社長の江口克彦氏は述べる。江口氏の解釈では、松下幸之助の経営の根底には、正しく売り買いすることの重要性があったという。誠実な商売をして、そ... 多くの知恵を集めることは絶対的な自信につながる 生き続ける松下幸之助の経営観(9)松下電器成功の理由1 追加日:2018/11/14 株式会社江口オフィス代表取締役社長の江口克彦氏が、松下電器が成功した9つの理由のうち、1つ目と2つ目の理由を解説する。その2つの理由は松下幸之助が自身を「凡人」と考えていたことに根ざしている。(2018年5月31日開催日本ビジネ... 松下幸之助は派閥を作らせなかった 生き続ける松下幸之助の経営観(10)松下電器成功の理由2 追加日:2018/11/14 株式会社江口オフィス代表取締役社長の江口克彦氏が、松下電器が成功した9つの理由のうち、3つ目から6つ目の理由を解説する。中でも注目は6つ目の理由で、松下幸之助は派閥を作らなかったという。それはいったいなぜか。(2018年5月31... 松下幸之助の「ガラス張りの経営」とは? 生き続ける松下幸之助の経営観(11)松下電器成功の理由3 追加日:2018/11/14 株式会社江口オフィス代表取締役社長の江口克彦氏が、松下電器が成功した9つの理由のうち7つ目から9つ目の理由を解説する。特に注目したいのは7つ目の「ガラス張りの経営」である。松下幸之助が唱える「ガラス張りの経営」とは何か。... 人間大事の考え方が松下幸之助の経営の根底にある 生き続ける松下幸之助の経営観(12)人間大事という考え方 追加日:2018/11/14 株式会社江口オフィス代表取締役社長の江口克彦氏は、人間大事という考え方こそが松下幸之助の根底にあると語る。松下幸之助の経営は、お金を追いかけるのではなく、人を追いかける経営であった。(2018年5月31日開催日本ビジネス協会...
人生が変わった松下幸之助からかけられた言葉 松下幸之助を語る(1)秘書から経営者への転身 追加日:2015/11/16 ある日突然、PHP研究所の経営引き継ぎを松下幸之助に打診されたと話すのは、幸之助の側近で参議院議員の江口克彦氏。一晩悩みに悩み、結局辞退する旨を告げた時、幸之助がかけた言葉とは──。幸之助の側にいて、誰よりもその人柄と... 仁王のような顔をして松下幸之助が言い放ったこと 松下幸之助を語る(2)経営者としての悟り 追加日:2015/11/23 かつて赤字続きだったPHP研究所を引き継ぐことになった江口克彦氏。2カ月ほど経った頃、毎週行う経営報告の席上で、幸之助の「鬼の形相」を目の当たりにする。「わしの言う通りにやるんやったら君はいらんで」。この一言から、江... 心を許して遊ぶ者は、経営者になれない 松下幸之助を語る(3)遊んでも心を許さないのが経営者 追加日:2015/11/30 松下幸之助は、「心を許して遊ぶ」べからずと説いた。遊ぶのはよい。しかし、ただ遊ぶのではなく、常にそれと仕事とのつながりを意識せよ。またある時、幸之助は「コップ一杯の水から、その国の力が分かる」とも言った。長年、幸之助... 松下幸之助が語った「反省」の重要性 松下幸之助を語る(4)「自己観照」と日本の伝統精神 追加日:2015/12/07 松下幸之助がよく言っていたのは「自己観照」、すなわち自分を見つめることの重要性だったと、幸之助の側近で参議院議員の江口克彦氏は語る。よいことも悪いことも含め反省することが大切だ。これは日本の伝統精神そのものだと言う江... チャーチルの演説に経営の心構えを学ぶ 松下幸之助を語る(5)自主独立の気概を持て 追加日:2015/12/14 かつて松下幸之助からPHP研究所の経営を任された江口克彦氏は、実質的に経営を支えていた松下電器からの「独立」を宣言する。その試みを後押ししたのは、「自主独立の気概を持て」という松下幸之助氏の哲学だった。各人の独立があ...
大不況下でも解雇や減給をしなかった幸之助―経営の原点 松下幸之助の言葉~人間大事の心(1)一人も解雇するな、1円も給料を下げるな(前編) 追加日:2015/04/01 松下幸之助の晩年23年間を秘書として仕え、PHP研究所の社長も務めた江口克彦氏が、今の時代でも色あせない「経営の神様」の珠玉の言葉について語る。1929年の世界恐慌の際、松下電器製作所は大不況の中で社員の解雇も減給も... 社員育成、成果、次の事業―経営者の三つの責任 松下幸之助の言葉~人間大事の心(1)一人も解雇するな、1円も給料を下げるな(後編) 追加日:2015/04/07 1929年の世界恐慌の際、「一人も解雇するな、1円も給料を下げるな」と命じ、松下電器製作所の社員たちの雇用と給料を守った松下幸之助。経済の混迷が続く現在、経営者に求められる「三つの責任」とは何なのか。松下幸之助の側近... 買ってくれた感謝からお客さんの後ろ姿に手を合わせる 松下幸之助の言葉~人間大事の心(2)心の中で手を合わすように 追加日:2015/04/14 松下幸之助の晩年23年間を秘書として仕えた江口克彦氏が、今の時代でも色あせない「経営の神様」の珠玉の言葉について語る。PHP研究所の経営に携わり、会社も順調に成長していた頃、江口克彦氏は、「社員や部下を叱ってもええけ... 目的とプロセスの両方を大事にしなければならない 松下幸之助の言葉~人間大事の心(3)「勝てば官軍」はあかんよ 追加日:2015/04/21 松下幸之助の晩年23年間を秘書として仕え、PHP研究所社長を務めた江口克彦氏が、今の時代でも色あせない「経営の神様」の珠玉の言葉について語る。PHP研究所で松下幸之助の秘書を務めていた江口克彦氏はある時、松下幸之助か... 自分を批判する人をむしろ重用し、相手の批判からも学ぶ 松下幸之助の言葉~人間大事の心(4)批判してくれる人は大事にせんとあかん 追加日:2015/04/27 松下幸之助の晩年23年間を秘書として仕え、PHP研究所社長を務めた江口克彦氏が、今の時代でも色あせない「経営の神様」の珠玉の言葉について語る。松下幸之助は、自分を批判する人をむしろ重用し、目の前で自分を批判してもらっ...
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