聖徳太子が提唱した「和」と中国の「和」の大きな違いとは 法隆寺は聖徳太子と共にあり(1)無条件の「和」の精神 追加日:2016/10/01 日本人ならば誰もが、法隆寺を建てたのは聖徳太子だと知っている。しかし、法隆寺と聖徳太子の関係は、私たちが想像している以上に深く、また謎のままの部分も多い。聖徳太子が残した法隆寺は、現代に生きる私たちに何をもたらしたの... 聖徳太子は「皇太子」だったことを忘れてはならない 法隆寺は聖徳太子と共にあり(2)神と仏の二人三脚体制 追加日:2016/10/08 聖徳太子は仏教を日本に取り入れ、そして広めた。そう教えられてきた聖徳太子像に対し、法隆寺管長・大野玄妙氏は注意を促す。聖徳太子について考える上でまず重要なのは、彼が皇太子であることだ。すなわち彼本来の仕事は、日本古来... 「和を以て貴し」とした聖徳太子の理想的社会像とは何か 法隆寺は聖徳太子と共にあり(3)「みんな一緒に」の精神 追加日:2016/10/15 どちらか一方ではなく、仏も神も両方大事にする。一神教の信者からすれば信じ難いこの感覚こそ、多様性と調和を重んじる日本独特の宗教性を示していた。法隆寺管長・大野玄妙氏は、多様性も含めて「和」を強調した聖徳太子の発想は、... 仏国土は水平的世界だが「浄土に登る」―日本的仏教観 法隆寺は聖徳太子と共にあり(4)仏国土はどこにあるか 追加日:2016/10/22 私たち日本人は、外からの諸物をそのまま受け入れるのではなく、自分たちの基準に従って取捨選択し、自分たちに都合よく組み上げてしまうことを得意とする。そしてそれは、典型的な経典解釈すら、日本風にアレンジしてしまうことにも... 焼失した法隆寺を再建したのは誰か? 歴史の謎に迫る! 法隆寺は聖徳太子と共にあり(5)法隆寺最大のミステリー 追加日:2016/10/29 法隆寺には未だに多くの謎が残されている。その中で最大のミステリーは、「誰が消失した法隆寺を再建したのか」というものだ。法隆寺管長・大野玄妙氏によれば、聖徳太子の行ったある行為が、法隆寺再建のカギとなった。そしてそれは... 法隆寺のお釈迦様は聖徳太子がモデル!生存中に造形が開始 法隆寺は聖徳太子と共にあり(6)「和」を広げる法隆寺 追加日:2016/11/05 法隆寺にある仏像は、実は聖徳太子をモデルにしている。しかもそれは、彼がまだ生きている間につくられ始めた。法隆寺管長・大野玄妙氏は、こうした仏像作成法が中国に由来するものであると述べる。仏教には、教えが表面的に伝わった... フェノロサと岡倉天心の「初の夢殿開帳」は実はねつ造? 法隆寺は聖徳太子と共にあり(7)日本古代史の謎に迫る 追加日:2016/11/12 なぜ聖徳太子は皇太子のままであり、天皇になれなかったのか。誰もが抱くであろうこの問題に、法隆寺管長・大野玄妙氏がいくつかの可能性を示す。一つ目は、日本のみならず中国や朝鮮でも見られた、「女性」政権の潮流だ。二つ目は、... 「日没する処の天子」と書かれても煬帝が激怒しない理由 法隆寺は聖徳太子と共にあり(8)古代史の眺め方 追加日:2016/11/19 「日没する処の天子」と書かれても、中国の皇帝は怒らなかった。その謎を解くには、この文言の前に書かれた部分を読解し、そして当時の国際情勢と突き合わせなければならない。法隆寺管長・大野玄妙氏が、学校では教えてくれない歴史...
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